おじさんのはたけ

先日、娘の保育園で「芋掘り」が行われた。

娘はとても楽しみにしており、軍手と長靴を持ってこの日は登園することになっている。

 

そのお便りに、気になるワードが書いてあった。

 

 

 

正式な「園だより」にこう書かれていたのである。

 

芋掘り

とき:11月1日

ところ:おじさんのはたけ

持ち物:軍手、長靴

 

 

 

「おじさんのはたけ」

 

 

 

 

なんでしょう。とても気になる言葉、「おじさんのはたけ」。

娘に聞いてみた。どこで芋掘りするのー?と。

するとやはり「おじさんのはたけ」。

あまりに気になったので色々聞いた。

 

「おじさんの畑ってどこにあるの?」

「いったことあるの?」

「どんなおじさんなの?」

 

 

園児にはこの名で浸透しているようである。

正式な真面目な保護者宛の文書に、「おじさんのはたけ」。その違和感も面白かった。

職場で学年だよりを作っている最中であったこともあり、とても引っかかった。

「おじさんのはたけ」?どこやねん!と。思わず突っ込んだ。

 

この芋掘りに保育参観があるわけでもない、だから畑の場所など知る必要もない。

だから、「おじさんのはたけ」で十分なわけだ。

そして娘にとっては「おじさんのはたけ」は「おじさんのはたけ」なのだ。

「園がさつまいも栽培を委託している畑」でもないし、「園から歩いていける近所の畑」でもない。

「おじさんのはたけ」なのだ。

 

もし「おじさんのはたけ」ではなく、上のような「園がさつまいも栽培を委託している畑」という説明書きで今回の園だよりが書かれていたら。

きっとわたしは気になっていない。

 

なぜ気になったか。

「おじさんのはたけ」という言葉にある優しさがそうさせたのだ。

「おじさんのはたけ」という言葉には愛があるのだ。

どこのおじ様かは存じあげませんが、きっと愛をかけてさつまいもを育ててくれたのではないか。

我が保育園の園児は、めちゃくちゃかわいい。みんなかわいい。自分の子じゃなくても、みんなかわいい。そう思う。そんなかわいいチビちゃんたちが、自分が育てたさつまいもを楽しみにしている。そして収穫を喜び、ニコニコの笑顔を見せてくれるはず。失敗は許されない。園をあげての一大行事、芋掘り。「今年は不作に終わりました」だなんてことになってしまったら、園児は悲しむ。「僕のさつまいもがない。」悲しい。もう終わりである。全力で育て上げないといけない。もはやこのおじさんの仕事は、ただ芋を育てているだけではない。その芋一本一本には、様々な人の思いが詰まっている。そんな芋が育つ場所が、この「おじさんのはたけ」なのだ。汗と涙と愛が肥料の「おじさんのはたけ」なのだ。

 

気になってしまったが故に、先の娘との会話が生まれたのだ。

「おじさんのはたけ」と書いてくれたからこそ、会話が生まれ、芋掘りというイベントが我が家で特別なものになったのだ。

 

「おじさんの畑ってどこにあるの?」

こうえんのちかくだよ。

「いったことあるの?」

いつもいくよ。

「どんなおじさんなの?」

おじさんと、おばあさんもいるよ。

 

 

 

当日を迎え、園にお迎えにいったところ、そこには珍しくハイテンションな娘が。

おいも、おおきいの、とったよ!

むしが、いたよ!むし!むし!っていったよ!

普段園では静かな娘が、大声で説明。よほど嬉しかったのだろう。

カバンの中には土だらけの、立派なさつまいもが。

 

そして、駐車場で

おいも、ママに見せたーーーい!!!

と、大泣き。芋を手にしてそんな悲しそうな顔で言われたら、たまらない。

行くしかないだろうと、おじさんのおいもを持って、面会時間ギリギリの病院へ行くことに。

 

大きなおいも!と母親に褒められ、満足そうな娘。

 

「どこでお芋掘りしたの?」

おじさんのはたけ。

 

にっこり笑う娘の顔を見ると、涙が出そうになる。

母親がいない寂しさを少し埋めてくれたおじさんに感謝です。

 

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