日本の教育を何とかしてくれと保護者に言われた。

みんな同じであることが、いいことだ。という日本の教育にある空気。

「前にならえ、気をつけ、礼、右向け右、回れ右、顔を上げましょう、姿勢を正しましょう。」

 

朝会の後、運動場から帰るときはいつもこうだ。

「教室へ帰ります。前へ、進め!」

ザッザッ…ザッザッ…ザッザッ…(行進の足跡)

 

こういう雰囲気、ずっと変わらない。うん十年変わっていない。

 

 

先進的な教育の実践例や、外国の学校についての本を読んだ。

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日本の教育、時代遅れだなぁと感じた。

いいところもたくさんある。人との関わりを大切にする。

一方、先の「みんな同じであることが、いいことだ」的教育法については、違和感を感じる。

「個性を大事にしろ」とか言う割に、目立つものは排除する傾向がある。

「みんなちがってみんないい」とか教えるのに、列からはみ出たら厳しく指導。

そんな教育を受け続け、個性を発揮できないまま、受験や就活では「個性を発表」しなくてはいけない矛盾。

 

でも、まあ、仕方ない。

この、学校全体に染み付いた空気、そう簡単には変えられない。

空気というかもはや文化。教師だけでなく、親世代もこういう教育を受けてきている。

急に「個性を大切に、もっとのびのびと」とかやっちゃうと、親も不安だろう。

まぁ、じゃあ、何も変えず、このままで…。

はい、おしまい。

 

 

 

 

と、この違和感に蓋をしておしまいにしようとしていたところに、一本の矢が鋭く飛び込んだ。

外国暮らしが長い帰国子女の転校生の保護者から、丁度のタイミングで相談を受けた。

詳しくは書けないので、誤魔化して書くと、

 

日本の教育、どうなんですか、全然変わっていない。

某国の教育では、もっと自由だった。

みんなが多様性を受け入れていた。

みんながもっと個性を発揮できるようにならないか。

 

 

 

「先生、何とかなりませんか…。」

 

 

 

 

ワァオ、こりゃ大変だ。すごい相談だ。

日本の教育を何とかしてくれと保護者に言われた。

もちろん、これは、日本の教育をという言い方をしていただいているだけで、暗にまずは私のクラスを何とかしてくれ…という意味なのだが。

でも、おっしゃる通りだと思った。

 

外国では、みんなが違うことがあたりまえ、という環境がハナからある。

人種も、皮膚の色も、言語も、髪の色も、見た目から違う人が混在している。

一方、日本人はみんな一緒。単一民族ではないが、ほぼ、一緒。

だから「少し違うこと」にとても敏感なんだろう。

 

そんな環境の中で「個性を発揮」できるようになるのは、随分勇気が必要だ。

失敗したら叩かれる空気がある。大人社会にもそんな空気が蔓延している。

いくら教室で「間違ったっていいじゃないか」だなんて言っても、それは嘘だ。

家に帰ればそんなニュースばかりが流れている。ネットの中もまさにそんな空気。

 

 

 

と、まぁ、できない理由ばかり探しているが、このままではいけないと思ってはいる。

今年のクラスがとても悪いクラス、というわけではない。

ただの「普通の日本の学校の教室」である。

この学校がとりわけ悪い学校、というわけでもない。

ただの「普通の日本の学校」である。

この学校に勤める先生方が、とりわけ悪い先生というわけでもない。

「普通の日本の先生」である。

 

 

どうしたらいいのやら。まとまっていない。

 

この「普通」が、「普通」じゃあないんだな。

この「普通の公立学校」の「普通の先生」が変わっていく必要があると思う。

多分みんな、どうしたらいいのか手探り状態。

日本のこの特異な文化環境で、どういう教育を行っていくことが正解なのか。

教育改革を進める偉い方や、大学教授のような人だけではなく、現場にいる人間が考え、実践し、行動することに意味があるんだろうな。

 

 

自分の仕事が「時代遅れ」な仕事、というのは悲しい。

授業を「対話的に…」とか、そんなレベルだけの話では変わらないよな。

根の根の根を変えないとな。

 

情けないが、まだ答えは無い。

具体的にどうすればいいかという考えはまだ無い。

なので、今日も学校で「みんな同じであることが、いいことだ」という教育を行うのだろう。

 

ただ、保護者に言われたことが、自分自身の変化のきっかけになりそうである。

ありがたいお言葉であった。