父として師として見せる生き様とは

生き様」は大事。

 

オードリー若林の本を読んだ。ちなみに自分はリトルトゥース。

そこに、2回ほど登場した言葉、「生き様」。

若林さんのまさに「人見知りとしての生き様」が書かれたエッセイ集。

その中のひとつ。得点に大きな差が開いた高校アメフトを観戦しているときの、若林さんのつぶやきが印象的だった。

 

そうだな、こうなったらもう生き様だよな

 

また、プロレスで、小柄な選手が大柄な選手に立ち向かう際のレスラーの一言にも、同じ言葉が出て来た。

 

勝った?負けた?そんなことはどうでもいいんだよ。生き様刻んでこい!

 

そうそう。勝ち負けより、損得より、生き様が大事な時って、ある。

この「先生」という商売は、自分の生き様が商品のようなものである。

小さい子どもはその大人の生き様を敏感に感じ取っている。

 

大人の自分だって、周りの大人を見ていて感じる。

なんか、すげぇな!と思う人は、その人独自の生き様刻んでいる。

100kmマラソンを平気で走ったり、絶対にぶれない仙人みたいな信念持ってたり…。

そういう大人には、子どももついていく。

 

自分の娘も、自分たち親の生き様を見ている。多大な影響を受けるのは間違いない。

自分も、自分の親の背中を見て育ったわけで。

 

サッカー部で子どもに生き様を考えさせる

教師が生き様を磨き、刻むは大事だが、子ども自身の生き様を考えさせることも大切かもしれない。

サッカー部の監督をしていたことがある。

小学校のサッカー部なんて、数名のクラブチームで練習を重ねている子がいると、どうしても有利になる。試合によっては、今すぐにでも辞めてしまいたくなる点差がつくこともある。その度にになんと声をかけていいやら分からなかった。

 

「大丈夫」…? 大丈夫じゃない。

「なんとかするんだ」…? 何ともならない。

「盛り返せ!」…? 無理。

 

子どもたちの闘士を再燃させる言葉は、「生き様刻んでこい」だったのかもしれない。生き様という言葉が分かるかどうかは置いておいて、同じように10年間生きた人間同士の戦いで、ホイッスルが鳴る最後の最後までどうありたいか、どう生きたいのかを表現することを、考えさせられるいい時間だったのだろう。

 

自分の生き様は何かを考えた。

自分の娘に見せる背中は何か考えた。

生き様を見せることは、何かに真剣に取り組むことだ。

じゃあ今は何に真剣に取り組んでいるか。仕事と勉強だ。

この、仕事に真剣になりすぎると、家庭が犠牲になってしまう。

自分にとって家庭は一番大事なもの。でも仕事も大事。いい加減にやっていい仕事ではない。(ある種のいい加減さは絶対に必要な仕事だが…)

ここのバランスが大事。ここのバランスにこだわりたい。どちらかを犠牲にするのではなく、どちらともを大切にする人生。この人生を歩むことが、生き様だろうか。

 

自分の見せたい生き様は、「家庭も仕事もどちらもバランスよくとことん大事にすること」だ。

 

仕事に全力投球して、スパッと帰る。家庭も全力投球。

そういう姿を、周りの人に見せよう。子どもに見せよう。生き様を刻もう。

 

 

何気なく手にしたオードリー若林のエッセイで、生き様なんて壮大なテーマのことをふと考えてしまった。

オードリー若林の生き様も、素敵なものだった。

本を通して一人の人の生き様に触れるのも、面白かった。

皆さんの生き様に対する考え方は、どうでしょうか

 

ただ、ここまで書いておいてこんなことを言うのも変だが、「生き様を見せるぞ!この野郎!」と意識して生きることが正解なのかどうかは分からない。そんなことは考えず、がむしゃらに生きて、それを見た人が勝手に感じるものが生き様なのかもしれない。

 

日々、精進するしかないのか。