学芸会 6年生の指導の仕方②

 

以前に、こんな記事を書いた。

ippoippoippoippo.hatenablog.com

 

現時点のこのブログの閲覧数の6割が上の記事だ。

「学芸会 指導」なんていうキーワードで検索されている。

私の周りでは、先週や今週に学芸会本番を迎えている学校が多い。

私の学校も既に学芸会を終えてしまった。

なので今更、どう指導したらいいか?だなんて書いても見てもらえないかもしれないが、その後どうだったのかということを、2年後再び学芸会の指導を行う自分のために、書き残しておこうと思う。

本当はもっと早い時期に書きたかったが…。

今回参考にした書籍は以下の3つ。

演劇やろうよ!

演劇やろうよ!

 
演劇やろうよ!指導者篇

演劇やろうよ!指導者篇

 

 とりわけ、青い本『演劇やろうよ!』は、本当にオススメ。

教師がどういうスタンスで、劇の指導に取り組めば、子供が楽しんで考えることができるのかが分かりやすく書かれている。学芸会指導のバイブルとなった。

 

オーディション

まずオーディション。ランダム半立ち稽古を2回ほど行なった後、取り組んだ。

ただ、はじめに子供に謝った。

「自由にやっていいと言っておいて、どうしても自由にさせられないことがあります。それは、(台本決めと)役決めです。役決めは先生が行います。これは、どうしてもみんなで決めると、組織票が発生します。自分の仲のいい友達が立候補して、その時投票しなかった…となると、後々感じ悪いよね。いくら真剣に投票に取り組んでも、何か後味悪いのではないかな。だから、ここはもう割り切って、先生が決めます。申し訳ない。」

 

もうこの役決めがある以上、平等にやりたい役をやらせるとか、無理!

誰かがいい思いをして、誰かが我慢をする。学芸会を得意とする子が分かりやすく輝き、縁の下の力持ち的な子が支える。そんな構図が出来上がる。

 

そして恒例の役決めクレーム…。

最近は100パーセント学芸会の役決めに対して何らかのクレームが入る。懇談会。

真正面からクレームを入れてくるパターンより、やんわりと不満をほのめかすものが多い。

 

「今回の学芸会の役決めですが、劇が得意な子ばっかりが受かっている印象ですが?」

うーん…。オーディションってなんなんだろう…。

かけっこでゴール手前で手を繋いで一直線になるようなものをよしとするタイプなんだろうなあ…。

 

算数で目立つ子は授業参観の算数で、図工なら作品展、足が速いなら運動会。同じように歌、演劇なら学芸会で目立つ。そういった小学生らしいもので目立てる子は今目立てばいい。長いスパンで見たら、いつどこで目立つのかは人それぞれ。今目立たなくても、これから先何で目立てるかはわからないし。10年後の成人式や同窓会で出会った時に、小学生の頃の輝きを放っていない人もいれば、逆にあの目立たなかったあいつが…?!ということもある。そんな内容の懇談会だった。

 

結局この保護者からは学芸会終了後のアンケートで、満足しているという評価をいただいた。

ただこの「満足している」とか「よいと思う」とか、こにアンケート自体にも違和感を感じるが…。

世の中、「保護者様」と学校…という一億総教育評論家時代なので、仕方ないのかもしれないが…。なんだかなあ。

 

台本書きかえ「一行道路」

役が決まったらすぐに、自分の言葉に台本を書きかえさせた。

自分にとって言いにくい言い回しであれば、どんどん変えなさい、と。

また、キャラ設定や性別も、どんどん変えていいと許可をした。話の内容がおかしくなる程はNGだが、そうでない限りは役者がどんどん考えて、変えなさい、と。

そのために、台本に一行道路(行と行の間に、子供が書き込める一行スペース)をあけておいた。

空白がないと、台本を書きかえられない。意外と大事。

 

役作り方法…「履歴書と噂話」

履歴書

この辺りは上の本に詳しく書かれている。面白かったし、後々の子供達の演技に影響した。

役作りができないと、子供が素の状態から抜け出せず、小さい演技になりがち。

そこで、その役の「履歴書」を書かせた。

どこで生まれ、家族構成は何で、趣味はどういうもので…という役の特徴を書いた。

その中でも大切なのが、腕を組んでしまう…とか、喋る時に頭をかく…など。

また、役の歩き方。その役らしさは、歩き方に出るそう。

盗賊の歩き方、姫の歩き方、王の歩き方、動物の歩き方…。なるほど、確かに違う。

ここをはじめに研究した。また、書いたことの市民権を得るために、私が全員分をみんなの前で読み上げた。こうすることで、みんなが堂々と、恥ずかしがらずにそれをできるようになる。

 

噂話

履歴書を書くにあたって、その前にやったことがある。

書けと言われても書けない。なので、数人をグループにして車座になって、1人だけ椅子に座らせた。

この椅子に座った役の、「噂話」をみんなでするのだ。

「この人は…肉が好きらしいよ」

「この盗賊は…意外と子供好きらしいよ」

「この王様は…実は熟女好き」

まぁ人のことは勝手に言うもんだ。言いたい放題である。

そんな中でピンとくるものがあれば採用すればいいということで、おもしろおかしく役作りを行えた。

この辺りの詳しいことは上の本に書いてある。ぜひ読んでいただきたい。

 

教室半立ち稽古→体育館半立ち稽古

オーディション後すぐに、演出家に全てを任せて、場面チームごとに各教室で半立ち稽古(台本を持ったまま、実際に動く)を行った。4場面ほどある劇なので、特別教室を使い、4部屋で行った。

まずは、私が示した型の練習をしていたところが多い。だんだんと回を重ねるごとに、アレンジをしていく場面チームが増えていった。

すると、揉め事が起こる。演出家が考えてきたものをハナから受け入れない子が多かった。

 

そこで、指導をした。

「演出家は、立候補してやってくれている子ばかり。休み時間や、家でも立ち位置や流れを考えてきてくれている子がいる。(これ本当。ノートにびっしり立ち位置が書かれていてびっくり。やる気満々である…。)自分の時間を犠牲にしてこの劇のことを考えてくれているのだから、まずは受け入れなさい。1回目は、言われた通りにやってごらん。やってみて、それから議論をしなさい。そうじゃないと、進まないし、失礼じゃない。納得できないなら、納得できない人も演出家になってから言うべきじゃないか。」

 

せっかく演出家が考えてきたのに、頭から「それヤダ」という子が多く、劇の練習が止まっていたのである。はじめのうちは、恥ずかしさもまだまだあったのだろう。

徐々に慣れていき、ああだこうだと議論をしながら場面ごとに仕上げていくことができた。

 

教師はひたすら安全管理。4つの教室をウロウロするだけ。

もうこの頃になると、いらん口出しをすると、怒られることさえあった…。

自由にやっていいと任せられた時の子どものパワーというのは、すごいなあと感じた。

 

 

そして、流れが出来上がったころ、体育館練習がスタート。

この頃にもまだ、台本をもっている子が半数以上。

 

絶対に言わないこと

それは「セリフを覚えなさい」と「台本を置きなさい」。

セリフは覚えなくていい。セリフを覚えてしまうと、セリフを言ってしまうから。

セリフを言うのではなく、劇の流れの中で喋る、というイメージ。ごく自然に、口から言葉を出させたい。

だから今回、最後まで上の言葉は言いませんでした。

繰り返していけば勝手に言えるようになるし、勝手に台本は置く。

それくらい子供は自分で考えて行動できる。

中にはお守りのように、台本を筒状にして、最後の一週間まで持っている子も…。

さすがにその時は、「いや、だったら、もう要らないだろう!」と突っ込んでしまった。

 

 

今日はここまで、いつの日かの③に続く。

 

老いるとは

土佐に生まれ、四国全土を支配しようとした戦国大名、長曾我部元親が主人公の歴史小説

 

 

新装版 夏草の賦 (上) (文春文庫)

新装版 夏草の賦 (上) (文春文庫)

 
新装版 夏草の賦 (下) (文春文庫)

新装版 夏草の賦 (下) (文春文庫)

 

 

夏草の賦を読了した。

十年ほど前の学生の頃、この物語を読み、歴史小説って面白いんだなと実感した。引っ越しの時にこの本は捨ててしまっていたのだが、今回なぜか無性にこの話が読みたくなり、改めて購入して一気に上下巻読了してしまった。内容はほとんど覚えていなかったのだが、どうやら無意識の中に覚えていて、今自分が置かれている状況から脳みそが読むことの必要性を感じていて、欲していたのかなと読んだ後に思った。

 

このお話の最後は「老い」について考えさせられて終わる。

 

四国の覇者であった長曾我部元親は、最後は豊臣秀吉に屈する。

天下統一の夢が破れ、秀吉に従ううちに、勢いや柔軟さを失っていく。

かつての成功体験が邪魔をし、子である若い信親とも衝突する。

その後、我が子と妻を同時に失い、完全に情熱を失ってしまう。

その結果が、元親の死後に出る。

跡継ぎの長曾我部盛親は、世の流れに任せて関ヶ原の合戦では石田側につき、土佐国は取り上げに。結果、大坂の陣で長曾我部家はなくなってしまう…。という結末である。いわゆるバッドエンド。

 

目標を失い、老いた人間の滅んでいく様が、最後に書かれている。

 

この小説の中で、

・情熱を失うこと

・昔の成功体験にとらわれ、柔軟さに欠けること

などが、分かりやすい「老い」の特徴として表現されている。

元親は自身の晩年にこれらが現れた。その後病死している。

 

わたしの場合。「情熱」はまだある。

「昔の成功体験にすがること」…?

これは、今の私にも当てはまるな、と、どきっとした。

「あのときうまくいったから、あれでもう一度やってみよう」という安易な考え方。

何よりこれは楽なのである。そして、苦労して以前にうまくいったのだから、その過去の苦労の恩恵に預かろうと思ってしまうのである。あの時頑張ったんだから、いいじゃねえか!と。

情けない話、これがうまくいかないんだ、通用しないんだ。ということに最近ようやく気付いた。あともうちょっとで脱却できる、というところに私はいる。いる気がする。

だからこの本を無意識手に取ったのか。

若い学生の頃はただ単に、長曾我部元親かっこいい…!散り様はドンマイ!くらいで終わっていた。

 

老いは加齢じゃないんだろう。

30代前半でも、昔の成功体験にどっぷり浸かっていたら、それはもう立派なお爺さんだ。

滅ぶのみである。

 

この話の中では、四国を支配するような男でも最後は老いてしまったのである。

歴史の真実はどうだか分からないが、肉体的にも精神的にも死ぬまで若々しい人は、かつての戦国大名より立派だなと思う。

 

晩年の元親のセリフ。

「夢があるうちが花だな。」

それが本当なら、手入れをたくさんして、咲かし続けなくちゃいけないねえ。

 

すぐにこんな本を手にしてみた。

 

 

うまくいったやり方から捨てなさい

うまくいったやり方から捨てなさい

 

 

 

読んでみよう。

 

 

病院のエレベーター

お見舞いは病室ではなく、エレベーター前にあるスペース。

病室内には子供は感染症予防のため、入れない。

それに、大きい声を出してしまう。ここでなら、ある程度は大丈夫。

 

ベンチがたくさんある、ちょっとしたスペース。

ここに座っていると、様々な人がいることに気づく。

入院なんてするつもりではなく、突然検診で入院を告げられ、慌てて家族に電話をする患者さん。

勤務中に何かがあったのだろうか、心配そうに駆けつけた患者さんの職場の方々。

皆それぞれの事情で入院をし、このスペースに集っている。

 

このスペースに家族三人で座っていると、嫌でも目に入るものがある。

それは、スペースの真横にあるエレベーター。

車両用エレベーターと、一般用エレベーターの二種類がある。

このエレベーターは毎日、様々な人を飲み込んでは吐き出し、を繰り返している。

 

「チーン」という到着音と共に出入りをするのは、

退院をするのでしょう、笑顔で出て行く夫婦。

心配そうにお見舞いに駆けつけたおばあさん。

車両用エレベーターの方には、寝たきりのまま病室を移動するのか、手術するのかは分からないが、ベッドごと移動させられる方。

この間は亡くなられた方も親族の方や黒いネクタイの方とともに出ていかれた。

 

産婦人科病棟ではないので、妊婦さんだけではなく、色んな方が行き来する。

 

そんな中で、いちばん私の胸をキューっと締め付けるシーン。

それは、「お母さんとの別れ」のシーンだ。

 

エレベーターの前で、おばあちゃんや、お父さんに手を引かれた小さい子が、不安げな悲しげな顔でお母さんとバイバイをする。

眉間にしわを寄せた小さい子が、1秒でも長くお母さんといたい子供が、お見舞いの最後に見せるささやかな抵抗。

エレベーターは来ている。早く乗らなきゃいけない。

でもまだお母さんといたい。もう一回ハイタッチをしたい。ハグをしてほしい。何回もバイバイをする。握手をする。

 

そのお母さんは妊婦さんであることが多い。

しかし、この混合病棟に入院をする妊婦さんは、安静を強いられているお母さんが多いのではないか。

抱っこもできない、目線を合わせるためにしゃがむことも、あまり長い時間面会もできない。

看護師さんの視線も気になるでしょう。でも子供に寂しい思いもさせたくないでしょう。

 

エレベーターが閉まってしまい、取り残されたお母さんの後ろ姿は、たまらない。

ただ、ただ、切ない。

1秒でも早くこの家族に平穏が戻るといいと心から思う。

 

 

 

我が家も同じ。

我が家の面会時間は30分。

 

この30分でうちの娘は甘え倒す。

点滴のマシーンを触って怒られる。

面会スペースで走り回り、怒られる。

ママもおうちに帰ろーよーとダダをこねる。

お芋掘りの報告をして褒められる。

夫婦で会話をすると怒って会話を遮る。

母親の朝食に出てくるパック牛乳を欲しがる。

一冊だけ絵本を読んでもらう。

 

こんな特別な30分。

そしてこれが終わると、そう、あの、エレベーター前へ。

 

人様の光景と同様の光景を繰り広げる。

ママ、タッチして。

ママ、明日も来るからね。

ママ、明日も牛乳ね。

ママ、もっかいタッチして。

もっかいタッチ。

もっかい。

もっかい。

…。

 

こんな時に大抵、他の利用する方が乗ってこられる。

すると臆病な娘は私の足元に隠れる。

 

「あら、ごめんなさいね。寂しいよね。気を遣わずに、もう一回タッチしていいからね。」

だなんて、声をかけてくださる優しい方もいる。

突然のその優しい言葉と娘の気持ちとがおり混ざって、私が涙ぐんでしまった。

 

バイバーイ。

シューっとドアが閉まる。

 

一階まで降りるエレベーターの中では、娘は一言も発さない。

一回で降りてから必ず言う言葉がある。

 

もっかいタッチしたかった…。

 

心が痛い。痛いねえ。

でも、明日も仕事を早く終わらせて、連れてきてあげようという気持ちになる。

 

閉まったエレベーターの向こう側で、妻はどんな様子なのだろうか。

きっと他の家族のお母さんと同じ後ろ姿なんだろうなあ。

1秒でも早く娘と妻に平穏が戻るといいと心から思うのであった。

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おじさんのはたけ

先日、娘の保育園で「芋掘り」が行われた。

娘はとても楽しみにしており、軍手と長靴を持ってこの日は登園することになっている。

 

そのお便りに、気になるワードが書いてあった。

 

 

 

正式な「園だより」にこう書かれていたのである。

 

芋掘り

とき:11月1日

ところ:おじさんのはたけ

持ち物:軍手、長靴

 

 

 

「おじさんのはたけ」

 

 

 

 

なんでしょう。とても気になる言葉、「おじさんのはたけ」。

娘に聞いてみた。どこで芋掘りするのー?と。

するとやはり「おじさんのはたけ」。

あまりに気になったので色々聞いた。

 

「おじさんの畑ってどこにあるの?」

「いったことあるの?」

「どんなおじさんなの?」

 

 

園児にはこの名で浸透しているようである。

正式な真面目な保護者宛の文書に、「おじさんのはたけ」。その違和感も面白かった。

職場で学年だよりを作っている最中であったこともあり、とても引っかかった。

「おじさんのはたけ」?どこやねん!と。思わず突っ込んだ。

 

この芋掘りに保育参観があるわけでもない、だから畑の場所など知る必要もない。

だから、「おじさんのはたけ」で十分なわけだ。

そして娘にとっては「おじさんのはたけ」は「おじさんのはたけ」なのだ。

「園がさつまいも栽培を委託している畑」でもないし、「園から歩いていける近所の畑」でもない。

「おじさんのはたけ」なのだ。

 

もし「おじさんのはたけ」ではなく、上のような「園がさつまいも栽培を委託している畑」という説明書きで今回の園だよりが書かれていたら。

きっとわたしは気になっていない。

 

なぜ気になったか。

「おじさんのはたけ」という言葉にある優しさがそうさせたのだ。

「おじさんのはたけ」という言葉には愛があるのだ。

どこのおじ様かは存じあげませんが、きっと愛をかけてさつまいもを育ててくれたのではないか。

我が保育園の園児は、めちゃくちゃかわいい。みんなかわいい。自分の子じゃなくても、みんなかわいい。そう思う。そんなかわいいチビちゃんたちが、自分が育てたさつまいもを楽しみにしている。そして収穫を喜び、ニコニコの笑顔を見せてくれるはず。失敗は許されない。園をあげての一大行事、芋掘り。「今年は不作に終わりました」だなんてことになってしまったら、園児は悲しむ。「僕のさつまいもがない。」悲しい。もう終わりである。全力で育て上げないといけない。もはやこのおじさんの仕事は、ただ芋を育てているだけではない。その芋一本一本には、様々な人の思いが詰まっている。そんな芋が育つ場所が、この「おじさんのはたけ」なのだ。汗と涙と愛が肥料の「おじさんのはたけ」なのだ。

 

気になってしまったが故に、先の娘との会話が生まれたのだ。

「おじさんのはたけ」と書いてくれたからこそ、会話が生まれ、芋掘りというイベントが我が家で特別なものになったのだ。

 

「おじさんの畑ってどこにあるの?」

こうえんのちかくだよ。

「いったことあるの?」

いつもいくよ。

「どんなおじさんなの?」

おじさんと、おばあさんもいるよ。

 

 

 

当日を迎え、園にお迎えにいったところ、そこには珍しくハイテンションな娘が。

おいも、おおきいの、とったよ!

むしが、いたよ!むし!むし!っていったよ!

普段園では静かな娘が、大声で説明。よほど嬉しかったのだろう。

カバンの中には土だらけの、立派なさつまいもが。

 

そして、駐車場で

おいも、ママに見せたーーーい!!!

と、大泣き。芋を手にしてそんな悲しそうな顔で言われたら、たまらない。

行くしかないだろうと、おじさんのおいもを持って、面会時間ギリギリの病院へ行くことに。

 

大きなおいも!と母親に褒められ、満足そうな娘。

 

「どこでお芋掘りしたの?」

おじさんのはたけ。

 

にっこり笑う娘の顔を見ると、涙が出そうになる。

母親がいない寂しさを少し埋めてくれたおじさんに感謝です。

 

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諸悪の根源、睡眠不足

父と娘の二人きり生活も、10日程過ぎた。夏に切迫流産で一ヶ月ほど入院をしていたため、この生活は二度目。なかなか慣れるものでもなく、疲れがたまりにたまって、妻が家にいることのありがたさを再度痛感している。

 

疲れがたまると、色んなことが疎かに。そして、精神的にも肉体的にも辛くなり、仕事も家事も効率が悪くなる。また、自分の情けない性格だが、暴飲暴食に走ってしまう。暴飲はあまりしないが、暴食がすごい。なんとかせねば。

 

どんどん理想の生活の姿から離れていってしまうので、これではいけないと、「ありたい姿」を考えていた。理想の姿。形。娘と父の二人で生活する上の今思い描いている理想の生活の形。

 

・娘が笑顔でいる

・娘が元気でいる、私も娘も風邪をひかない

・娘が怪我をしない

・娘をなるべく怒らない 時と場合によるが…

・娘が21時には寝られる

 

・部屋がいつも片付いている

・暴飲暴食をしない きちんと体重を毎日計測する

・家事関係のやるべきことを予定を立ててきちんとこなす (クーラー業者呼ぶ…新しい椅子を買う…)

・少しは(もはや月一回でもいい)ランニングをする

・予算内で次の給料日を迎える

・仕事の不安をなくす 抱えている課題をなくす

・成績に早めに完成させる

・3時に起きて、自分の時間をきちんと確保する

 

なかなか手強い理想像だ。しかしこんなもん、妻が一緒に家にいた時は余裕でできていたはず。うーん、感謝しかない。これを達成するために必要なことを突っ込んでみた。

 

・娘が笑顔でいる自分が笑顔でいろ!早く寝ろ!

・娘が元気でいる、私も娘も風邪をひかない早く寝ろ!

・娘が怪我をしない部屋散らかすな!

・娘をなるべく怒らない 時と場合によるが…心に余裕をもて!早く寝ろ!

・娘が21時には寝られる早く寝ろ!

 

・部屋がいつも片付いている娘よ、出したらしまえ!

・暴飲暴食をしないストレスためるな!早く寝ろ!

・きちんと体重を毎日計測する習慣付けろ!

・家事関係のやるべきことを予定を立ててきちんとこなす (クーラー業者呼ぶ…新しい椅子を買う…)見通しをもて!予定を立てろ!

・少しは(もはや月一回でもいい)ランニングをするもういい諦めろ!

・予算内で次の給料日を迎える暴飲暴食するな!ということは早く寝ろ!

・仕事の不安をなくす 抱えている課題をなくす優先順位をつけて働け!

・成績に早めに完成させる優先順位をつけて働け!

・3時に起きて、自分の時間をきちんと確保するとにかく早く寝ろ!

 

早く寝ればいいんですよ、分かっているのにできない。

別に何をしているでも無い。ご飯食べて、洗濯して、お風呂入って、着替えて、髪乾かして、歯磨きして、掃除して、保育園の準備して、寝る。この合間合間に娘とちょっとずつ遊んでいる。単に今までは分業していたものがワンオペになり、時間がかかっているだけ。そのため20時半くらいには布団に入ろうかとしていたのに、最近では9時10時が当たり前になっているのが現実。

 

睡眠不足が諸悪の根源。

家事仕事の効率を悪くし、食欲を増大させ、体調不良を引き起こす。

部屋が荒れていき、頑張る気力が失われたまま、翌朝。

早起きができず、自分の時間も確保できず、ストレスがたまる…の悪循環。

 

多少何かが終わってなくても、寝てしまおう。頑張りすぎ、完璧主義ではやっていけない。

当たり前すぎることだが、寝不足でいいことは一つもない。ブログに書くようなことではないのだが…。 

 

 

 

 

新装版 夏草の賦 (上) (文春文庫)

新装版 夏草の賦 (上) (文春文庫)

 

 

夏草の賦の上を読了した。学生の頃以来の再読。

土佐の戦国大名、長曾我部元親の話。彼と比べたら守る人の数も土地の広さも比べ物にならない。

妻も頑張っている。私も娘も頑張らねば!

挑戦

学芸会の本番が近づいてきてきている。劇においてBGMやエンディングで歌う歌というのは雰囲気を決定づける重要なものである。今年はピアノが弾ける子が数人いるので、最後のエンディングソングのピアノ生演奏に挑戦したい人はいるか?と募集をかけた。やりたい人は次の休み時間に私の元へ来るんだ、と。すると次の時間に、ひとりの子がやってきた。見た目から「発表会なら慣れてるわ。任せて。」という普段から紺色のワンピースやブラウスを綺麗に着こなす、雰囲気たっぷりな「ザ・ピアノ女子」がエントリー。即決定。演奏技術に何の不安もない。もう明日が学芸会でも全く問題ない。私も安心した。

 

しかし何だ、私の視界にもうひとり、視界に入るか入らないかの絶妙な距離のところで、ゆらゆらしている人間がひとりいる。風に吹かれるように、不安げに揺れている。普段は活発な男子だ。「ザ・運動場男子」だ。概ねのことを笑って何とかするタイプの愛され坊主である。以下「坊主」と呼ぼう。その坊主は明らかにわたしの方を見ている。何か言いたげなのである。ゆらゆらしているあたり、トイレに行きたいが今行っていいのかの許可を取りにきているのか。いやいやいつも言うようにトイレに行くのに許可なんて取りに来るんじゃない、坊主よ勝手に行きなさいと思いながら、「どうした?」と声を掛ける。すると坊主の口から出た言葉はトイレの話ではなかった。いつもの、漏れるとか漏れないとかいう話ではなく、何と。

 

坊主「僕も、ピアノやりたいです。」

 

私「……?!」

 

意表を突かれた。トイレでは無いなら次の時間の算数の準備を忘れた報告かなんかだろうと思ったが、まさかのピアノ競争への参戦。まさかである。ここで誤解していただきたく無いのは、おそらくこの学校で勤めている人間であれば、この坊主を知っている人間は、この告白を聞けば、みんな驚きを見せたはずなのである。周囲にそういう評価を受けているタイプ坊主なのである。

 

そもそもこの坊主、全くピアノが弾けないのである。

鍵盤ハーモニカの扱いも、正直、怪しい。

 

そんな男が、あと一ヶ月で、三百人ほどの観客を前にして一曲奏でようと意気込んでいるのである。なんと無謀な挑戦だろう。何を考えているのだろう。しかし、どう見ても、本気である。軽いノリや、周りにからかわれて冷やかしで来ているわけでは無い。その表情は真剣そのものである。何が起きたのか、何が彼をそうさせたのか。私も、横にいるザ・ピアノ女子も、固まってしまった。「おまえが、ピアノに…だと…?」

 

しかし今回の学芸会。何にでもチャレンジOK。やりたいことを自由にやれ。がテーマ。挑戦、チャレンジ、ウェルカムである。ここでこの挑戦を私が無しにしてしまえば、劇そのものが台無しになってしまう。

 

私「やってみるんだ!2人で相談して、頑張れ!」

 

ここから彼の猛練習が始まった。何が偉いってこの坊主、毎休み時間ピアノを開けて、練習をしている。「ザ・運動場男子」が、主戦場の運動場に行かない。ピアノに向かっている。横にはザ・ピアノ女子。すぐに女子の厳しい指導が始まった。「そこはシー!違う、そこはファ。あーもう!」普段決して混ざり合わない2人が、揃ってピアノに向かう異様な光景に、周囲も違和感を感じつつも、優しく見守っている。「両手弾きなんて無理!」早い段階で、両手弾きは諦めたようだ。渡した楽譜のオタマジャクシの数は、音楽の教科書に出てくる鍵盤ハーモニカ楽譜の数倍あるだろう。しかし、坊主は挑戦する。少しずつ、メロディになってきている。

 

先日、ついに、劇の通し練習で披露することになった。

彼は、劇の主人公が傷ついて去りゆく場面のBGMとして、エンディングで歌う歌のメロディを奏でることになったようだ。主人公が足を引きずりながら出口に向かう中、彼の演奏が始まった。

 

………。

 

そう、人生そんなに甘く無い。全くもって、本人にも、周囲にも、満足できる内容ではなかった。

 

内心、思った。あ、これ、主人公が傷ついているシーンだから、ピアノBGMも、途中で弾き間違えたとしても、そういう演出に捉えることはできるんじゃないか。なるほど。大丈夫だ。

しかし奴の表情を見て、それは口にできなかった。笑ってごまかすタイプの坊主が、悔しそうなのである。危ない。ひどいことを言うところであった。

 

残念ながら私はピアノは弾けない。技術的な指導はあまりできない。だからこの男のことを、もはや尊敬している。わたしには真似できない。小学生の頃はもちろんのこと、今の自分でもこのチャレンジは真似できない。ピアノで全校生徒の前で発表会をしろ、しかもそれが、止まることがない学芸会の中で、演技の最中に弾け、だなんて真似、絶対に無理。死んでも無理である。奴はそこに自ら飛び込み、戦っているのである。なんて素晴らしいのであろう。

 

本番がどんな結果になるかは分からない。どんな結果になろうと、奴を称えてやらなければならない。こんなに本番が楽しみで、ドキドキする学芸会は初めてである。彼を中心に、この劇集団がまとまっていくといい。本番当日に、こういう不確定要素がある劇は、とても興奮するのだな。

 

挑戦することの大切さや美しさを、20歳年下の人から学ばせていただいた。

本当に本番が楽しみである。

切迫。父と娘、二人きり生活。

妻の体には第二子がいる。

昨日、検診に行ったところ、絶対安静を告げられた。

 

第一子のときは切迫早産で、数ヶ月の寝たきり生活。

今回は切迫流産で、夏頃に二ヶ月の入院を経験。

 

予定日まであと二ヶ月に迫った今、ついに絶対安静。

そして今日、産む予定であった、大きな病院へ行け、とのこと。

おそらくそこで入院を告げられるであろう、と。

 

入院が決まれば、私と娘の二人きりの生活がまた始まる。

生まれるまで、ずっと入院生活が続くのかもしれない。

 

うーん。

ぶっちゃけ不安である。

不安なのは妻も一緒。いや、妻の方が不安が大きいに決まっている。

家族の前では堂々としていないと。そりゃあもちろん。

こんなときにこそ父が堂々としていないといけないだろうバカヤロウ!という世間の目が気になるけれども、ここはあえて正直に、今自分は不安なんだという気持ちを整理して書きたい。

 

結構不安なんだな、と思っている。

なんと今朝は2つの悪夢で目が覚めた。漫画みたいな話である。

ひとつは救急車に乗る夢、ひとつは手首から先を失う夢。

なんじゃこりゃ!!

 

家事やら育児やら仕事やらができないとか、そういう不安ではない。

そこは共働きの我が家、できないことは何も無い。大丈夫。まかせろコノヤロウ。

 

何が不安って、娘の精神状態である。

「ママに会いたいよー!うわーん!」という、三歳児が押し殺すにはあまりに大きい寂しさの波を、受け止めてやらねばならない毎日。

スマホに残る夏の入院中の娘の表情は、悲しげ。

埋められない穴、というものがあるのだな、と感じた。

 

まあでも、こればかりは仕方がない。

 

またあの日々が始まるのか、と思うと不安だが、夏の入院生活中にはいいこともあった。

父と娘が二人きりで長い時間暮らせる日々なんて、きっともうこの先無い。

寂しさを紛らわせるために、ストライダーを持って、朝から公園に通ったあの夏。

大人二人じゃ高く感じる入園料も、大人一人なら気にせず行けちゃうぞ。そう、娘が大好きなレゴランド

もちろん妻には内緒だが…。

 

よくありがちな言葉だけれど、

妻には第二子を守ってもらおう。

第一子の娘を守るのが、自分の使命。

ちょっとの間だけ、分業体制をとるだけ。

なんてことはない。

 

ブログに不安と書くのは自由だが、妻や娘の前では堂々としていないと。

子は親の鏡というのは、こういう時のこともいうのだろうか。

父の不安が娘の鏡に映っちゃう。いかんぞ。

 

こうして書くと、不思議と、少し楽になるもんだ。