小学校教員の育児読書日記

二児の父、小学校教員が現場からお送りします。

今の時代、学校で、毎週習字をする必要があるのか?

ベテランの女性の先生が、我が職場には多い。お姉様である。

個人的には、ズバズバと管理職に意見を言ってくれるし、若手や中堅を管理職から守ってくる言動が多く、すごく有難く、尊敬している。

 

 

 

そのお洒落で優雅なベテラン先生が、職員室の後ろで弱音を吐いておられた。

 

どうやら、若手教員に、「ノート指導」をやったってくれないか!と、管理職から頼まれたらしい。

 

ピシッとした学級経営をされる方である。当然、ノートも板書も、ピシッとしている。美しい。

管理職も、「指導の手本」として声をかけたくなる気持ちも分かる。

積み重ねてきた「技術」である。職人技みたいなものだよな、と思う。

しかしベテラン先生、このように弱音を吐かれていた。

 

「わたしのやってきたことが、今になって正しいかわからなくなってきちゃって・・・。」

 

「今の時代に、黒板にノートってのもね。スマホが当たり前の時代でしょ?」

 

「(若手の)あの子、普段からパソコンとか使って授業してるじゃない、今の時代の人に、これが正しいかどうか、もうわからないわ。」

 

 

 

確かに。

 

もう今の時代、「一斉授業」さえ、どうなのかなと思う。

 

「黒板の文字を、きれいにノートに写し取る」という技術が、今の時代に必要な技術なのかは分からないと自分も思う。

 

「綺麗なノート」=「よい成績」なんて価値観は、今時馬鹿げているとは思う。

 

「国語辞典の使い方」よりも、「上手な検索の仕方」に時間をかけるべきだと思う。

 

家庭科で洗い桶を使って行う「手洗いの練習」や、「ミシン」も、いつまで学校で教え続ける必要があるのかは分からない。

 

諸外国がIT教育を進めまくっている中、ほぼ毎週きっちり一時間墨と筆を使って習字をすることが、本当に大切なことなのかはいろんな意見があっていいと思う。

 

 

 

今までやってきたことが正しいかどうか、それを今後も続けていくことに価値があるかを、きちんと見極めないといけないと思う。

学校の外はどんどん変わっているのに、学校の中だけずっと変わらない。

 

「右向け右、回れ右、前に習え、全体止まれ、休め、気をつけ。」平成も終わるぞ?

「キーホルダーは2個まで。」何その謎ルール。

「でもおまもりはオッケーです。」何だその無駄な配慮。

「体育は半ズボンで。動きにくいから。」長ジャージ履いたことないんか!!

 

柔軟性が無さすぎる。

 

どこかの記事か投稿で、「浦島太郎も、学校には適応できるはず」みたいなことが書いてあった。その通りだと思う。

 

昨日の記事でも書いたけれど、変えていかなきゃなぁと思う。

 

 

ippoippoippoippo.hatenablog.com

 

現場から、行動を起こしていかなきゃなあと思う。

 

 

でも、ベテラン先生がやってきたことをすべて「価値がないもの」とするのはおかしいと思う。

 

「ベテラン」=「老害

 

と決めつけてしまっているツイートさえ見られる。まぁ、色んなベテランがいるのは事実。

いつか我々もベテランになる。

 

そのとき、我が職場の方々のように、素直に自身の取り組みを振り返り、時代に合っているかを考え直し、たとえ定年間際であっても自身の成功体験にこだわらず、柔軟に対応しようとする姿勢をもつことができるかどうか。

 

管理職、ベテラン、中堅、若手、みんなで対話して、中から変えていかないと。

 

しかし、そんな時間が無い…というのが悲しいところだ。

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残った1%を、家庭、仕事、自分の時間、どれに振るか。

あれは2年前だったか。

円グラフを使って、授業参観で「私(担任)の頭の中」を発表してくれたグループがいた。

 

当時は、上の子が産まれて間もない頃。

クラスでも、嫁の話や娘の話をたくさんしていた。

ちなみに今もしている。面白おかしく話すと、それを家庭でも子は話してくれるらしく、かなり多くの親から「娘さんの話、楽しみにしてます、もっと話してあげてください」だなんて言われて、割といい気分になっていたりする。

 

更に、当時は第一子の育児で嫁もヘトヘトだったため、ほぼ定時に帰って育児を担わなきゃ!と気負ってもいた。

 

さて、そんな頃の授業参観での発表。

一年間最後の授業参観だったかもしれない。あれは冬だった。寒い頃だった。

無邪気な女子グループが作った円グラフを見て、複雑な気持ちになった。

 

円グラフは、三当分されていた。

タイトルは、「先生が大事にしていること」。習いたての割合を使って説明してくれた。

 

項目は

1 家庭

2 クラスのわたしたち

3 趣味(マラソン、食べること)

 

だった。割と当たっている。

ただ、それらが占める割合は

 

1 家庭 34%

2 クラスのわたしたち 33%

3 趣味(マラソン、食べること) 33%

 

と、表記されていた。

 

これを見て当時複雑な気持ちになった。

この数字にぐさりと心をえぐられたような感じがした。

たった1%だが、この1%が

「先生、私たちより家族の方を大事にしてませんか?」

というメッセージをもっているとも考えられた。

「もっと私たちを見てくださいよ」という無言のメッセージだったのか?

当時の子たちと、特別関係が悪かったわけではないと思っていたが…難しいなぁと思った。

 

 

あれから2年経った今、ふとこのことを思い出した。

あの時負った心の傷は癒えている。

ちなみにこの子たちを翌年持ち上がりで受け持ち、卒業させた。

ただ、2年経つと、考え方は変わるもので、ややポジティブにこの円グラフのメッセージを捉えるようになっていた。

 

「家庭や自分も大事にする働き方を、身近な社会人として子供に示すこと」

 

こうあってもいいんじゃないか、と。

 

先生というと、残業当たり前。

金八先生みたいに、遅くまで家庭訪問。

部活の後遅くまで残って、朝早く来る。

家庭の話なんて一切しない。クラスが命。仕事が命。

 

こういう姿を見せる先生がいてもいいと思う。

でも、家族を大事にし、自分の趣味も大事にして、クラスも大事よ、というスタンス。

これもありじゃあなかろうか、と。

 

彼女たちが習いたての割合で、家族、クラス、趣味に33%、33%、33%と振ったところで、「あと1%どうする?」となったんでしょう。

 

「わたしたちより家庭の方が大事だよねきっとこの人。」と思って1%を家庭に付けたのかもしれない。実際はどうだかはよくわからない。

たとえそうだとしても、自分は、「みんなも将来大きくなったら、仕事より1%でいいから、家族を大事にしてあげてほしい。」と伝える教員でありたいなあと、今は思うようにしている。

 

子どもというのは、しかし、本当によく見ているもんだ。

 

どうなんだろうか。

それが正しいかどうかわからないけども、そう信じてやるしかないなあ。

 

嫁に聞いてみよう。

「あんた、34パーセント分も家事やってないでしょ」と、怒られること間違いないな。

 

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赤い屋根の大きな火葬場

おもちゃ屋さんにて。

三歳の娘が、初のシルバニアファミリー体験。

そこにはいくつかサンプルが置いてあるんです。

キラキラした瞳をして、かわいい動物たちで遊び始めました。

するといきなり、大きな声で、

 

 

焼きますよーーー!!

 

 

と、言うもんだから、振り返ってみると。

 

 

いたって真面目に、ふざけているわけではなく

ピザ窯にリスの坊やをぶちこむ我が娘。

 

 

 

シルバニアファミリー 人形 くるみリスの赤ちゃん

シルバニアファミリー 人形 くるみリスの赤ちゃん

 
シルバニアファミリー お店 森のピザ屋さん

シルバニアファミリー お店 森のピザ屋さん

 

 

 

 

いいんだ…。型にハマるな、自由に遊べ…。

 

 

 

 

一ヶ月ぶりの更新になってしまいました。

母子ともに無事に産まれました。

また再開しようと思います。

学芸会 6年生の指導の仕方②

 

以前に、こんな記事を書いた。

ippoippoippoippo.hatenablog.com

 

現時点のこのブログの閲覧数の6割が上の記事だ。

「学芸会 指導」なんていうキーワードで検索されている。

私の周りでは、先週や今週に学芸会本番を迎えている学校が多い。

私の学校も既に学芸会を終えてしまった。

なので今更、どう指導したらいいか?だなんて書いても見てもらえないかもしれないが、その後どうだったのかということを、2年後再び学芸会の指導を行う自分のために、書き残しておこうと思う。

本当はもっと早い時期に書きたかったが…。

今回参考にした書籍は以下の3つ。

演劇やろうよ!

演劇やろうよ!

 
演劇やろうよ!指導者篇

演劇やろうよ!指導者篇

 

 とりわけ、青い本『演劇やろうよ!』は、本当にオススメ。

教師がどういうスタンスで、劇の指導に取り組めば、子供が楽しんで考えることができるのかが分かりやすく書かれている。学芸会指導のバイブルとなった。

 

オーディション

まずオーディション。ランダム半立ち稽古を2回ほど行なった後、取り組んだ。

ただ、はじめに子供に謝った。

「自由にやっていいと言っておいて、どうしても自由にさせられないことがあります。それは、(台本決めと)役決めです。役決めは先生が行います。これは、どうしてもみんなで決めると、組織票が発生します。自分の仲のいい友達が立候補して、その時投票しなかった…となると、後々感じ悪いよね。いくら真剣に投票に取り組んでも、何か後味悪いのではないかな。だから、ここはもう割り切って、先生が決めます。申し訳ない。」

 

もうこの役決めがある以上、平等にやりたい役をやらせるとか、無理!

誰かがいい思いをして、誰かが我慢をする。学芸会を得意とする子が分かりやすく輝き、縁の下の力持ち的な子が支える。そんな構図が出来上がる。

 

そして恒例の役決めクレーム…。

最近は100パーセント学芸会の役決めに対して何らかのクレームが入る。懇談会。

真正面からクレームを入れてくるパターンより、やんわりと不満をほのめかすものが多い。

 

「今回の学芸会の役決めですが、劇が得意な子ばっかりが受かっている印象ですが?」

うーん…。オーディションってなんなんだろう…。

かけっこでゴール手前で手を繋いで一直線になるようなものをよしとするタイプなんだろうなあ…。

 

算数で目立つ子は授業参観の算数で、図工なら作品展、足が速いなら運動会。同じように歌、演劇なら学芸会で目立つ。そういった小学生らしいもので目立てる子は今目立てばいい。長いスパンで見たら、いつどこで目立つのかは人それぞれ。今目立たなくても、これから先何で目立てるかはわからないし。10年後の成人式や同窓会で出会った時に、小学生の頃の輝きを放っていない人もいれば、逆にあの目立たなかったあいつが…?!ということもある。そんな内容の懇談会だった。

 

結局この保護者からは学芸会終了後のアンケートで、満足しているという評価をいただいた。

ただこの「満足している」とか「よいと思う」とか、こにアンケート自体にも違和感を感じるが…。

世の中、「保護者様」と学校…という一億総教育評論家時代なので、仕方ないのかもしれないが…。なんだかなあ。

 

台本書きかえ「一行道路」

役が決まったらすぐに、自分の言葉に台本を書きかえさせた。

自分にとって言いにくい言い回しであれば、どんどん変えなさい、と。

また、キャラ設定や性別も、どんどん変えていいと許可をした。話の内容がおかしくなる程はNGだが、そうでない限りは役者がどんどん考えて、変えなさい、と。

そのために、台本に一行道路(行と行の間に、子供が書き込める一行スペース)をあけておいた。

空白がないと、台本を書きかえられない。意外と大事。

 

役作り方法…「履歴書と噂話」

履歴書

この辺りは上の本に詳しく書かれている。面白かったし、後々の子供達の演技に影響した。

役作りができないと、子供が素の状態から抜け出せず、小さい演技になりがち。

そこで、その役の「履歴書」を書かせた。

どこで生まれ、家族構成は何で、趣味はどういうもので…という役の特徴を書いた。

その中でも大切なのが、腕を組んでしまう…とか、喋る時に頭をかく…など。

また、役の歩き方。その役らしさは、歩き方に出るそう。

盗賊の歩き方、姫の歩き方、王の歩き方、動物の歩き方…。なるほど、確かに違う。

ここをはじめに研究した。また、書いたことの市民権を得るために、私が全員分をみんなの前で読み上げた。こうすることで、みんなが堂々と、恥ずかしがらずにそれをできるようになる。

 

噂話

履歴書を書くにあたって、その前にやったことがある。

書けと言われても書けない。なので、数人をグループにして車座になって、1人だけ椅子に座らせた。

この椅子に座った役の、「噂話」をみんなでするのだ。

「この人は…肉が好きらしいよ」

「この盗賊は…意外と子供好きらしいよ」

「この王様は…実は熟女好き」

まぁ人のことは勝手に言うもんだ。言いたい放題である。

そんな中でピンとくるものがあれば採用すればいいということで、おもしろおかしく役作りを行えた。

この辺りの詳しいことは上の本に書いてある。ぜひ読んでいただきたい。

 

教室半立ち稽古→体育館半立ち稽古

オーディション後すぐに、演出家に全てを任せて、場面チームごとに各教室で半立ち稽古(台本を持ったまま、実際に動く)を行った。4場面ほどある劇なので、特別教室を使い、4部屋で行った。

まずは、私が示した型の練習をしていたところが多い。だんだんと回を重ねるごとに、アレンジをしていく場面チームが増えていった。

すると、揉め事が起こる。演出家が考えてきたものをハナから受け入れない子が多かった。

 

そこで、指導をした。

「演出家は、立候補してやってくれている子ばかり。休み時間や、家でも立ち位置や流れを考えてきてくれている子がいる。(これ本当。ノートにびっしり立ち位置が書かれていてびっくり。やる気満々である…。)自分の時間を犠牲にしてこの劇のことを考えてくれているのだから、まずは受け入れなさい。1回目は、言われた通りにやってごらん。やってみて、それから議論をしなさい。そうじゃないと、進まないし、失礼じゃない。納得できないなら、納得できない人も演出家になってから言うべきじゃないか。」

 

せっかく演出家が考えてきたのに、頭から「それヤダ」という子が多く、劇の練習が止まっていたのである。はじめのうちは、恥ずかしさもまだまだあったのだろう。

徐々に慣れていき、ああだこうだと議論をしながら場面ごとに仕上げていくことができた。

 

教師はひたすら安全管理。4つの教室をウロウロするだけ。

もうこの頃になると、いらん口出しをすると、怒られることさえあった…。

自由にやっていいと任せられた時の子どものパワーというのは、すごいなあと感じた。

 

 

そして、流れが出来上がったころ、体育館練習がスタート。

この頃にもまだ、台本をもっている子が半数以上。

 

絶対に言わないこと

それは「セリフを覚えなさい」と「台本を置きなさい」。

セリフは覚えなくていい。セリフを覚えてしまうと、セリフを言ってしまうから。

セリフを言うのではなく、劇の流れの中で喋る、というイメージ。ごく自然に、口から言葉を出させたい。

だから今回、最後まで上の言葉は言いませんでした。

繰り返していけば勝手に言えるようになるし、勝手に台本は置く。

それくらい子供は自分で考えて行動できる。

中にはお守りのように、台本を筒状にして、最後の一週間まで持っている子も…。

さすがにその時は、「いや、だったら、もう要らないだろう!」と突っ込んでしまった。

 

 

今日はここまで、いつの日かの③に続く。

 

病院のエレベーター

お見舞いは病室ではなく、エレベーター前にあるスペース。

病室内には子供は感染症予防のため、入れない。

それに、大きい声を出してしまう。ここでなら、ある程度は大丈夫。

 

ベンチがたくさんある、ちょっとしたスペース。

ここに座っていると、様々な人がいることに気づく。

入院なんてするつもりではなく、突然検診で入院を告げられ、慌てて家族に電話をする患者さん。

勤務中に何かがあったのだろうか、心配そうに駆けつけた患者さんの職場の方々。

皆それぞれの事情で入院をし、このスペースに集っている。

 

このスペースに家族三人で座っていると、嫌でも目に入るものがある。

それは、スペースの真横にあるエレベーター。

車両用エレベーターと、一般用エレベーターの二種類がある。

このエレベーターは毎日、様々な人を飲み込んでは吐き出し、を繰り返している。

 

「チーン」という到着音と共に出入りをするのは、

退院をするのでしょう、笑顔で出て行く夫婦。

心配そうにお見舞いに駆けつけたおばあさん。

車両用エレベーターの方には、寝たきりのまま病室を移動するのか、手術するのかは分からないが、ベッドごと移動させられる方。

この間は亡くなられた方も親族の方や黒いネクタイの方とともに出ていかれた。

 

産婦人科病棟ではないので、妊婦さんだけではなく、色んな方が行き来する。

 

そんな中で、いちばん私の胸をキューっと締め付けるシーン。

それは、「お母さんとの別れ」のシーンだ。

 

エレベーターの前で、おばあちゃんや、お父さんに手を引かれた小さい子が、不安げな悲しげな顔でお母さんとバイバイをする。

眉間にしわを寄せた小さい子が、1秒でも長くお母さんといたい子供が、お見舞いの最後に見せるささやかな抵抗。

エレベーターは来ている。早く乗らなきゃいけない。

でもまだお母さんといたい。もう一回ハイタッチをしたい。ハグをしてほしい。何回もバイバイをする。握手をする。

 

そのお母さんは妊婦さんであることが多い。

しかし、この混合病棟に入院をする妊婦さんは、安静を強いられているお母さんが多いのではないか。

抱っこもできない、目線を合わせるためにしゃがむことも、あまり長い時間面会もできない。

看護師さんの視線も気になるでしょう。でも子供に寂しい思いもさせたくないでしょう。

 

エレベーターが閉まってしまい、取り残されたお母さんの後ろ姿は、たまらない。

ただ、ただ、切ない。

1秒でも早くこの家族に平穏が戻るといいと心から思う。

 

 

 

我が家も同じ。

我が家の面会時間は30分。

 

この30分でうちの娘は甘え倒す。

点滴のマシーンを触って怒られる。

面会スペースで走り回り、怒られる。

ママもおうちに帰ろーよーとダダをこねる。

お芋掘りの報告をして褒められる。

夫婦で会話をすると怒って会話を遮る。

母親の朝食に出てくるパック牛乳を欲しがる。

一冊だけ絵本を読んでもらう。

 

こんな特別な30分。

そしてこれが終わると、そう、あの、エレベーター前へ。

 

人様の光景と同様の光景を繰り広げる。

ママ、タッチして。

ママ、明日も来るからね。

ママ、明日も牛乳ね。

ママ、もっかいタッチして。

もっかいタッチ。

もっかい。

もっかい。

…。

 

こんな時に大抵、他の利用する方が乗ってこられる。

すると臆病な娘は私の足元に隠れる。

 

「あら、ごめんなさいね。寂しいよね。気を遣わずに、もう一回タッチしていいからね。」

だなんて、声をかけてくださる優しい方もいる。

突然のその優しい言葉と娘の気持ちとがおり混ざって、私が涙ぐんでしまった。

 

バイバーイ。

シューっとドアが閉まる。

 

一階まで降りるエレベーターの中では、娘は一言も発さない。

一回で降りてから必ず言う言葉がある。

 

もっかいタッチしたかった…。

 

心が痛い。痛いねえ。

でも、明日も仕事を早く終わらせて、連れてきてあげようという気持ちになる。

 

閉まったエレベーターの向こう側で、妻はどんな様子なのだろうか。

きっと他の家族のお母さんと同じ後ろ姿なんだろうなあ。

1秒でも早く娘と妻に平穏が戻るといいと心から思うのであった。

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おじさんのはたけ

先日、娘の保育園で「芋掘り」が行われた。

娘はとても楽しみにしており、軍手と長靴を持ってこの日は登園することになっている。

 

そのお便りに、気になるワードが書いてあった。

 

 

 

正式な「園だより」にこう書かれていたのである。

 

芋掘り

とき:11月1日

ところ:おじさんのはたけ

持ち物:軍手、長靴

 

 

 

「おじさんのはたけ」

 

 

 

 

なんでしょう。とても気になる言葉、「おじさんのはたけ」。

娘に聞いてみた。どこで芋掘りするのー?と。

するとやはり「おじさんのはたけ」。

あまりに気になったので色々聞いた。

 

「おじさんの畑ってどこにあるの?」

「いったことあるの?」

「どんなおじさんなの?」

 

 

園児にはこの名で浸透しているようである。

正式な真面目な保護者宛の文書に、「おじさんのはたけ」。その違和感も面白かった。

職場で学年だよりを作っている最中であったこともあり、とても引っかかった。

「おじさんのはたけ」?どこやねん!と。思わず突っ込んだ。

 

この芋掘りに保育参観があるわけでもない、だから畑の場所など知る必要もない。

だから、「おじさんのはたけ」で十分なわけだ。

そして娘にとっては「おじさんのはたけ」は「おじさんのはたけ」なのだ。

「園がさつまいも栽培を委託している畑」でもないし、「園から歩いていける近所の畑」でもない。

「おじさんのはたけ」なのだ。

 

もし「おじさんのはたけ」ではなく、上のような「園がさつまいも栽培を委託している畑」という説明書きで今回の園だよりが書かれていたら。

きっとわたしは気になっていない。

 

なぜ気になったか。

「おじさんのはたけ」という言葉にある優しさがそうさせたのだ。

「おじさんのはたけ」という言葉には愛があるのだ。

どこのおじ様かは存じあげませんが、きっと愛をかけてさつまいもを育ててくれたのではないか。

我が保育園の園児は、めちゃくちゃかわいい。みんなかわいい。自分の子じゃなくても、みんなかわいい。そう思う。そんなかわいいチビちゃんたちが、自分が育てたさつまいもを楽しみにしている。そして収穫を喜び、ニコニコの笑顔を見せてくれるはず。失敗は許されない。園をあげての一大行事、芋掘り。「今年は不作に終わりました」だなんてことになってしまったら、園児は悲しむ。「僕のさつまいもがない。」悲しい。もう終わりである。全力で育て上げないといけない。もはやこのおじさんの仕事は、ただ芋を育てているだけではない。その芋一本一本には、様々な人の思いが詰まっている。そんな芋が育つ場所が、この「おじさんのはたけ」なのだ。汗と涙と愛が肥料の「おじさんのはたけ」なのだ。

 

気になってしまったが故に、先の娘との会話が生まれたのだ。

「おじさんのはたけ」と書いてくれたからこそ、会話が生まれ、芋掘りというイベントが我が家で特別なものになったのだ。

 

「おじさんの畑ってどこにあるの?」

こうえんのちかくだよ。

「いったことあるの?」

いつもいくよ。

「どんなおじさんなの?」

おじさんと、おばあさんもいるよ。

 

 

 

当日を迎え、園にお迎えにいったところ、そこには珍しくハイテンションな娘が。

おいも、おおきいの、とったよ!

むしが、いたよ!むし!むし!っていったよ!

普段園では静かな娘が、大声で説明。よほど嬉しかったのだろう。

カバンの中には土だらけの、立派なさつまいもが。

 

そして、駐車場で

おいも、ママに見せたーーーい!!!

と、大泣き。芋を手にしてそんな悲しそうな顔で言われたら、たまらない。

行くしかないだろうと、おじさんのおいもを持って、面会時間ギリギリの病院へ行くことに。

 

大きなおいも!と母親に褒められ、満足そうな娘。

 

「どこでお芋掘りしたの?」

おじさんのはたけ。

 

にっこり笑う娘の顔を見ると、涙が出そうになる。

母親がいない寂しさを少し埋めてくれたおじさんに感謝です。

 

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諸悪の根源、睡眠不足

父と娘の二人きり生活も、10日程過ぎた。夏に切迫流産で一ヶ月ほど入院をしていたため、この生活は二度目。なかなか慣れるものでもなく、疲れがたまりにたまって、妻が家にいることのありがたさを再度痛感している。

 

疲れがたまると、色んなことが疎かに。そして、精神的にも肉体的にも辛くなり、仕事も家事も効率が悪くなる。また、自分の情けない性格だが、暴飲暴食に走ってしまう。暴飲はあまりしないが、暴食がすごい。なんとかせねば。

 

どんどん理想の生活の姿から離れていってしまうので、これではいけないと、「ありたい姿」を考えていた。理想の姿。形。娘と父の二人で生活する上の今思い描いている理想の生活の形。

 

・娘が笑顔でいる

・娘が元気でいる、私も娘も風邪をひかない

・娘が怪我をしない

・娘をなるべく怒らない 時と場合によるが…

・娘が21時には寝られる

 

・部屋がいつも片付いている

・暴飲暴食をしない きちんと体重を毎日計測する

・家事関係のやるべきことを予定を立ててきちんとこなす (クーラー業者呼ぶ…新しい椅子を買う…)

・少しは(もはや月一回でもいい)ランニングをする

・予算内で次の給料日を迎える

・仕事の不安をなくす 抱えている課題をなくす

・成績に早めに完成させる

・3時に起きて、自分の時間をきちんと確保する

 

なかなか手強い理想像だ。しかしこんなもん、妻が一緒に家にいた時は余裕でできていたはず。うーん、感謝しかない。これを達成するために必要なことを突っ込んでみた。

 

・娘が笑顔でいる自分が笑顔でいろ!早く寝ろ!

・娘が元気でいる、私も娘も風邪をひかない早く寝ろ!

・娘が怪我をしない部屋散らかすな!

・娘をなるべく怒らない 時と場合によるが…心に余裕をもて!早く寝ろ!

・娘が21時には寝られる早く寝ろ!

 

・部屋がいつも片付いている娘よ、出したらしまえ!

・暴飲暴食をしないストレスためるな!早く寝ろ!

・きちんと体重を毎日計測する習慣付けろ!

・家事関係のやるべきことを予定を立ててきちんとこなす (クーラー業者呼ぶ…新しい椅子を買う…)見通しをもて!予定を立てろ!

・少しは(もはや月一回でもいい)ランニングをするもういい諦めろ!

・予算内で次の給料日を迎える暴飲暴食するな!ということは早く寝ろ!

・仕事の不安をなくす 抱えている課題をなくす優先順位をつけて働け!

・成績に早めに完成させる優先順位をつけて働け!

・3時に起きて、自分の時間をきちんと確保するとにかく早く寝ろ!

 

早く寝ればいいんですよ、分かっているのにできない。

別に何をしているでも無い。ご飯食べて、洗濯して、お風呂入って、着替えて、髪乾かして、歯磨きして、掃除して、保育園の準備して、寝る。この合間合間に娘とちょっとずつ遊んでいる。単に今までは分業していたものがワンオペになり、時間がかかっているだけ。そのため20時半くらいには布団に入ろうかとしていたのに、最近では9時10時が当たり前になっているのが現実。

 

睡眠不足が諸悪の根源。

家事仕事の効率を悪くし、食欲を増大させ、体調不良を引き起こす。

部屋が荒れていき、頑張る気力が失われたまま、翌朝。

早起きができず、自分の時間も確保できず、ストレスがたまる…の悪循環。

 

多少何かが終わってなくても、寝てしまおう。頑張りすぎ、完璧主義ではやっていけない。

当たり前すぎることだが、寝不足でいいことは一つもない。ブログに書くようなことではないのだが…。 

 

 

 

 

新装版 夏草の賦 (上) (文春文庫)

新装版 夏草の賦 (上) (文春文庫)

 

 

夏草の賦の上を読了した。学生の頃以来の再読。

土佐の戦国大名、長曾我部元親の話。彼と比べたら守る人の数も土地の広さも比べ物にならない。

妻も頑張っている。私も娘も頑張らねば!