小学校教員の育児読書日記

二児の父、小学校教員が現場からお送りします。

「本が好きな子」に育つには?

六年生。

隣のクラスの男の子が持っていた文庫本。

 

真っ黄色の背。

見覚えのある表紙。

 

司馬遼太郎『世に棲む日日』だった。

 

小6で『世に棲む日日』が読める彼。

私はそれを大学生の頃に読んで感動したのを覚えている。

吉田松陰高杉晋作を描いた作品である。

友人との卒業旅行先が萩に決まり、急いで読んだような気がする。いや、読んだから、無理矢理萩にしてもらったのだろうか?記憶に無いが、とにかく、松下村塾を見に行って、松陰神社御朱印を頂く、渋い卒業旅行だった。

 

「わたしも好きでね」というと、目をキラキラ輝かせていた。

 

我が学校は割と教育水準が高い学区。

読書家が多い。図書室にある小学生向けの本なんて、幼稚だから読まないという子も多い。

行動も落ち着いている。背伸びして司馬遼太郎を読んでいるわけではない。

 

かなりの子が、常に本を持って過ごしている。

 

そんな子たちが、羨ましい、と思う。

彼らは年間100冊は読んでいるはず。

12歳の時点でその楽しみを知っていることが羨ましい。

 

自分の読書は成人してからからポツポツと始まった。

本格的に始めたのは30歳になってから。この1〜2年の話である。

 

彼は12歳、私は30前半。約20年の間に、もっとたくさん読めたし、その時にしか読めなかった本もあるよなあと思う。

 

彼らは20年あれば、2000冊は読むだろう。

ぼけっと過ごした私は、2000冊読む機会を失ったんだなあ。

 

今この年齢で司馬遼太郎を読める彼らは、大人になったら何を読むのだろうか。夢のある話である。

 

その子とは別の子であるが、読書家の子の家庭訪問に行った際、どうしてこんなに本を読むことができるのかを尋ねた。

 

「たいしたことは何もしていない。小さい頃に読み聞かせを特別たくさんしたというわけでもない。親が読書を家でたくさんするというわけでもない。まあ多少は読みますが。」

 

この「読み聞かせを特別たくさん」や「多少は読みますが」という程度が、このお宅はレベルが違うのかもしれない。

 

どんな家庭環境で育てば、あのような読書ができるようになるのか、大変興味をもった。

 

結局は、わからない。

 

とにかく、彼の読書力には脱帽。

読めない漢字は無いらしい。

 

私の良き読書仲間。

20歳年下だが、尊敬する男である。

 

私の子どもとも、一冊の小説について語り合えるような日が、早く来るといい…?

いや、いつまでも小さいままでいてほしい。

 

昨日の食卓の娘↓

 

 

新装版 世に棲む日日 (1) (文春文庫)

新装版 世に棲む日日 (1) (文春文庫)

 

 

 

素敵な本屋一覧『まだまだ知らない 夢の本屋ガイド』

『まだまだ知らない 夢の本屋ガイド』を読了した。

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全国の現役書店員22名が、まだどこにも紹介されたことのない面白い本屋を紹介している。

なかなかこれが面白く、ぜひ行ってみたいという気にさせられる。

すでに亡くなった方へ本を届けるお店や、大型本屋の奥にある秘密のお店、離島にあるお店…など、様々な形の本屋が紹介されている。

ぜひ一度は行ってみたい。行けるもんなら…。

 

このページの角を折りたたんだ。

「本屋って、誰でもなれると思うんです。だって本って、この世の中にあるすべてのものとつながっているから。衣食住はもちろん、音楽、映画、科学、思想、アート、旅、そしてスポーツにも。だから、いろんなお店の人が、その人なりの本を扱って、本当の意味での『本屋村』ができたらいいなって、ずっと考えているんです。

 

p272

 

そうなったら、おもしろいよなと思う。

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例えばガソリンスタンドが本屋になる。

給油中に本を店員さんが持ってきてくれるとか面白い。

車の雑誌に加えて、伊坂幸太郎『ガソリン生活』 重松清『流星ワゴン』…。

ガソリンスタンドの本棚、作れそうじゃないか。

タクシーの後部座席が本屋になる、それでもいい。酔っちゃうか。

 

回転寿司が本屋になる。これもいい。

ちょいちょい本が回ってくる。

「あ!これ読んだ!」と、盛り上がっちゃう。

そうすると次の本が楽しみになっちゃったりして。寿司どうでもよくなっちゃったりして。

ヘミングウェイの『老人と海』とビンチョウマグロあたりがセットで回ってくる。

甘エビでもいい。

 

それを振ると、小海老が船底にぱらぱら落ちた。一ダース以上もある。

とびむしのようにとんだり跳ねたりしている。老人は拇指と人差し指とで頭をもぎ取り、殻ごと尻尾まで噛みくだいて食べた。小さいけれども、うまくて栄養があることを老人は知っている。

 

p112

 

ここを想像しながら食べる。

ここ、老人、かっこよかった。とか言いながら。

 

 

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そうすると、手元にある本は、何屋に置けるのだろうと考えちゃう。

 

司馬遼太郎功名が辻』は、良妻賢母、夫を育てる話。結婚式場とかにしましょうか。

大山淳子『あずかりやさん』はコインロッカーに置いておこう。

川上和人『鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ』は、やっぱ鳥屋、ペットショップ?

あ、手羽先屋さん、焼き鳥屋さんでもいけるか。山ちゃん?がブリチキン?

鳥貴族で大学生やサラリーマンが酔っ払って読むにはちょうどいい内容じゃなかろうか。

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余談だが、教員も本との関わりは大きい。

ある意味「本を売らない本屋」かもしれない。

日頃から本を読めとおすすめしている。

 

でもなんだろう、「学校の先生おすすめの本」ってあんまり魅力ないな。

「読書感想文」がちらつくからかな。「お勉強」感が強いからかな。

同じ本を勧めたとしても、「学校の先生おすすめ」よりも、「商店街のお肉屋さん店長おすすめ」のほうが、興味がそそられるな。なんとなく。

 

もっと、こう、学校で、本に対してライトに接することができるといい。

読んだ後に、「読んだ感想を書け」「筆者の気持ちを考えろ」じゃなくって、

 

「ふーん。」

 

で終わっていいと思う。

この本の中にある大切なことが分かるようになるのは、10年後、もっと後かもしれないのに。

 

 

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話を元に戻す。

とにかく、世の中の全てのお店が、本屋になれるんじゃ、ないか。

読書が好きな人にとっては、それはそれは面白い世の中になる。

 

この『まだまだ知らない 夢の本屋ガイド』は、現役書店員さんが書いている。

巻末の作者一覧には、その方の本屋の名前が載っていた。

気になってしまったので、調べてみると、どれもこれも、まぁなんと素敵な本屋。

一度は行ってみたいと思った。

 

新潟県の「北書店」さん。

新潟市|北書店

 

関西や金沢にある、ホホホ座さん。

ホホホ座

 

東京、『読書の日記』著者による、フズクエさん。

fuzkue | 本の読める店

 

他多数。

今ある素敵な本屋さんには頑張ってもらいたい。

 

 

先月、最寄りの本屋が潰れた。

決して品揃えがいいわけではなかったが、町の唯一の本屋だった。

大きいショッピングセンターまで行かないと、本は買えなくなってしまった。

悲しい。

 

とか言いながら、原因は私にもある。

Amazonでよく本を買っていた。翌日には届くという素晴らしいシステム。

しかし、Amazonでは、先日感じた、本屋でのあの高揚感は味わえない。

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なるべく、本屋に出向き、本を買おうと思う。

そして、夢のような時間を過ごせる、夢のある本屋がもっと増えるといい。

 

昨日買った本のリスト

久しぶりの本屋。本棚を見上げて、ニヤニヤしてしまった。

 

偶然の出会い。よく言えば一目惚れ、悪く言えば衝動買い。でもそれが魅力。

 

Amazonも便利。でも、中身が見れる、手に取れる、あの匂い、あの本棚の圧迫感が良い。

 

ただ、ここにある全ての本を、死ぬまでに読み切ることはできないんだということを思い出して、同時に、いつも、少し悲しくもなる。

 

久しぶりの本屋は私を調子に乗らせた。

老人と海 (新潮文庫)

老人と海 (新潮文庫)

 

ヘミングウェイ老人と海阿久津隆『読書の日記』の影響。

某お笑い芸人のギャグしか私とヘミングウェイの接点はなかった。

勝手に敷居が高いと感じていたので、まずは一番薄い作品を手にした。

数十ページ読んだが、テンポよく老漁師と少年のやりとりが続く。大丈夫、読めそう。楽しみ。

 

スペクテイター〈43号〉 わび・さび

スペクテイター〈43号〉 わび・さび

 

雑誌『スペクテイター』。この表紙。衝動買い。いや、一目惚れ。

又吉直樹・堀本裕樹『芸人と俳人森下典子日日是好日を読んでから、日本人の美的感覚を、もっと大事にしないと!と感じるようになった。

立ち読みで済ませようとしていたが、綺麗なお姉さまが同時に手に取っていったため、買ってしまった。衝動買い。いや、一目惚れ。どっちに。

 

橋をかける (文春文庫)

橋をかける (文春文庫)

 

皇后美智子さま『橋をかける』美智子さまの子供時代の読書についての講演が文庫化。見つけた。あった。

そういう本があることを知ってから、いつの間にか忘れていた。

ヘミングウェイの近くにあった。たまたま見つけた。すぐ買った。

 

プリズン・ブック・クラブ--コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年

プリズン・ブック・クラブ--コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年

 

『プリズンブッククラブ』。こちらも阿久津隆『読書の日記』の影響。刑務所囚人が本を通して変わっていくお話?

『まだまだ知らない夢の本屋ガイド』も今読んでいるが、最近の興味は「本」「本屋」ばかり。

 

峠(上) (新潮文庫)

峠(上) (新潮文庫)

 

司馬遼太郎『峠〈上〉』

結局、無視できなかった。新潟行こう。

 

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5冊も買ってしまった。

しばらく昨日までの「次何読もうか考えてウキウキする時間」は味わえなくなってしまった。

どっぷりと、作者の世界に浸りたいと思う。

 

 

ロイヒトトゥルム ノート A4 ドット方眼 ブラック 321149

ロイヒトトゥルム ノート A4 ドット方眼 ブラック 321149

 

高級ノートも買ってみた。読書メモ用。

 

 

ippoippoippoippo.hatenablog.com

 

 

最近私の授業が余談だらけなのはこの人のせいか

読むものがない。厳密に言えばある。『読書の日記』が手元にある。この日記が『まだまだ知らない夢の本屋ガイド』という本にも出会わせてくれた。阿久津隆『読書の日記』は「ブックガイド」なんだと理解したのは、150ページを過ぎた頃だった。

 

ページの端を畳んだのは、こんなかんじ。次はなにを読もうか。

特に何を探すでなく並べられた本を眺めたい、と思ってB&Bに行った、B&Bへの行き方はいつもだいたいそういうふうで、というかそういう状態のときに行きたいところで、だからそうやって行った。ただ一冊「これ」という読みたい本はあり、そしてB&Bに置いていそうな気がしていたそれは『誰が音楽をタダにした? 巨大産業をぶっ潰した男たち』だった、それは最近出た本だった。だが見当たらなかったのでうかがったところ黄色い表紙でよく認識していたのだが、見当たらないところから察するに売れちゃったっぽいですねということだった、それで平和な落ち着いた気持ちになったためうろうろと棚を見ていた、日記、と思って『富士日記』をめくったり、シモーヌ・ヴェイユのやつをめくらなかったり、何かをめくったりした、面白い読書日記を読んでみたいような気がしている、僕が今書いている読書日記のベースになっているのは細川亜衣の『食記帳』のはずだったのに、まったくあんなふうにはなっていない。いつの日か凛とかしてみたい。

 

阿久津隆『読書の日記』

 

司馬遼太郎義経』を読了した。そのため、読むものがない。一気に複数読むため、読むものはある。あるにはある。あるのにない。この、次なにを読もうと考えている時間が一番楽しい。面白い本に出会って読み進めている間も楽しいが、なんとなく、読み終わらなきゃいけないという義務感が肩をこらせる。今は、新しい年度を迎える、春休みのような気持ち。

 

せめて五郎がおれば。

と、土佐房はくやしがった。三上五郎というのはかれの従兄であり、この一軍でも抜群のつわものであったが、聞くと、あの乱戦のなかで素手の弁慶に首を締められ、そのままいけどりにされてしまったという。

 

司馬遼太郎義経〈下〉』

 

ベンケイ、痺れる。抜群のつわものって絶対強い、それを素手って、どんだけ強い。

司馬遼太郎作品にも少し疲れてきた。ネタバレになるが『義経』の最後は悲しかった。義経が不幸で終わることは知っていた、歴史の先生が教えてくれたから知っていた。そこではない。終わり方が、ジャンプの打ち切り漫画のようだった。義経が京都を落ちてから奥州に逃げるまでがカット。そこが読みたかった。それに加えて12月の頭から3ヶ月、ずっと司馬遼太郎フェア。『関ヶ原』全三巻『功名が辻』全四巻『国盗り物語』全四巻。11月もか。『夏草の賦』『戦雲の夢』。余談だが、国語の授業でも先週『二十一世紀に生きる君たちへ』を扱った。積読棚から新品の『城塞』と『花神』と『播磨灘物語』が手招きしているがもうしばらくいい。

 

そんなときに、妻が、「来月新潟の山本五十六記念館に行きたい」とか言い出した。謎である。なにがあった。

 

山本五十六。軍人。あまり知らない。

 

坂の上の雲』がずらっと並ぶ黄色い背表紙全八巻を想像して嫌な気分になった。記念館は新潟県長岡市と知り、長岡藩が舞台の『峠』全三巻、太めの緑色の背表紙を思い出した。共に未読だがどちらも今の気力じゃ読めない。というかもっとかわいいところに行きたがれ。もっと白やピンクのひらがなやカタカナが多めのふわふわしたかわいいところ。外弁慶の私は言わないけれど。そういう本を間にはさみたい。3歳と2ヶ月の子どもを連れて海軍軍人山本五十六記念館の違和感。でも新潟行くならもったいない。今読まずしていつ読むんだ。うーん。

 

今日は本屋に行く予定がある。なににしようかと本屋で悩める時間は本当にいい。結局司馬遼太郎に手を出してしまう気がする。だれかのエッセイとかいいかも。でも結局司馬遼太郎のエッセイにしちゃうかも。星新一ショートショートでもいいかも。でも結局司馬遼太郎の短編集にしちゃうかも。それならそれで。本屋での攻防戦を楽しむいい休日。

そのリリースする曲名が『薔薇色の人生』っていうもんだから余計にぐっとくるもんがあった。

そうか。18年も昔のことなのか。

 

爽健美茶」があまり好きじゃない。関係ないけど「十六茶」も苦手。味が好きじゃないから好きじゃない。けれど、頑張って「爽健美茶」を飲みまくった、思い出、がある。どくだみ、はぶちゃ、プーアールー、とかCMで言っていた頃だと思う。むかしむかしのはなしだな。

 

それについたシールを集めて貼って応募すると抽選で某歌手の初のライブチケットが当たるというキャンペーンだった。今調べたら知恵袋が、当時の抽選倍率を教えてくれた。あの頃はその歌手はテレビにもよく出ていて、人気だった。今は握手券のおまけについているCDっていう電子媒体が、まだ生きていた頃。なんと1240倍だったらしい。大人気。新潟県の教員採用試験の倍率の約1240倍。無駄に爽健美茶を飲んだ義務教育のあの頃。水筒の中身も爽健美茶だったかもしれない。味は苦手。

 

「だれかのファンでいること」に憧れていたんだと。「なんかそういう熱狂的に好きな芸能人がいる人っていいな」って思ったんだと。当時。18年前。ひたすらシールを集めた。クラスの中に、協力してくれる友もいた。あのときは真剣だった。清々しいほど阿保だった。今で言えば所謂「黒歴史」なのかもしれない。ただ、その歌手はキラキラして見えたし、歌も好きだった。そして、何より、暇だったんだろう。

 

当時その歌手の売り方も上手だったのかな。作曲していない歌手、ただのアイドルだったが、高級感を持たせて売り出していた気がする。だれかのパクリとかとも言われていたな。宇多田だ、宇多田。宇多田のパクリだ。って。でも1240倍て。当たるわけねぇ。だからこそ、憧れたなぁ。

 

 

月日は流れ、18年。いま。もうそんなこと忘れていた。忘れていたかった。何気なく、スマホをいじっていて、見つけた。目に飛び込んできた。

 

 

「リリース記念イベント&特典会 AEON MALL 京都」

 

あぁ、そうかい。そうかいな。

なんだい、そうなのかい、なんというか、そうかい、18年経つと、もう、タダなのかい。そうかい。私の血は爽健美茶で出来ていると言っても過言ではないくらい爽健美茶を飲みまくったあの日々から数えて18年。二人の娘息子の血にも当時の爽健美茶が流れているかもしれないっていうのに。そうかい、タダなのかい。今はもうファンではない。最近の曲なんて一曲も知らない。というかまだやっていたんか。元気ならそれだけでいい。でもそうかい。タダなのかい。

 

当時はどんだけ金を積んだって手に入らなかったであろう抽選倍率1240倍のチケット。今はファンの数は当時とは比べ物にならないであろう。そうか、タダで会えちゃうのね。「その場でハイタッチ」て書いてある。そうか、そんな感じか。

 

なんだ、自分の思い出まるごと「ゼロ円」って言われたようなこの感じ。時の流れって残酷。

 

私はサザンに救われたあのときの気持ちをそれでも自分は肯定していていいのかいけないのか、そんなことにこだわるのもおかしいんじゃないかと人は言うかもしれない、私はあのときサザンに救われた、サザンがもしいなかったら、私が三十何年も前にサザンを聴いていなくてあのとき聴く音楽がなかったとしたら私は救われなかったのか、だいたい救われるという言い方は大げさで、私はサザンを聴くあいだ少し気が紛れた、いなくなったダイアナのことを忘れられたというのでなく重い気持ちが少しラクになった、いやそれが救われるということか。

「消せど燃ゆる魔性の火よ、あんなに好きな女性に出逢う夏は二度とない」という気持ちを私はきっと経験してはいない、それはしかし、

「私はもう中二階のある家のことを忘れかけているが、ごく稀に、絵を描いているときや本を読んでいるときなど、突然、あの窓の緑色のあかりのことや、恋心を抱いて寒さに手をこすりながら夜更けの野原を家に帰ったときの自分の足音などを、なんとはなしに思い出すことがある。

 

 

阿久津隆『読書の日記』内、保坂和志『地鳴き、小鳥みたいな』引用文

 

あぁ。頑張って。

stay by my side』って曲名を覚えていたから、検索かけたら、TWICEの同名曲が出てきたよ。アレクサはちゃんとかけてくれるかな。今は家族が寝てるから聞けないけれど、「スミマセン、ワタシにはワカリマセン。」って言わないでくれ。朝一で悲しくなるから聞かない。埋もれているけれど、わたしの青春は確かにそこにあったんだ。前だけ見て生きてると、後ろがどうなっているか気付かないのね。

 

まあ何だっていいんだ。何だって。もう今は関係ない。興味もさほどない。絶対にそんな無料イベントなんか行かない。でも、頑張ってくれたら、嬉しいと、自分の中にいる18年前の自分が思った。ISSAみたいな感じにはならないで欲しいけれども。

 

 

 

爽健美茶 2L PET×3本

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読書の日記

読書の日記

 

 

 

 


昨日は珍しく1日に2回も書いた。

 

 

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【急募】頭痛をなくす方法

三連休二日目。小さい子どもがいると、三連休だからと言って、旅行やら大きなことは簡単にはできない。寒いし。ちなみに私、寒いと肩がこる。

 

連休のど真ん中、司馬遼太郎義経〈下〉』を数十ページ読み進めた。

 

木曾義仲が死ぬ。兜の目庇の下を射こまれて討死する。義経軍の手によって。死ぬ間際にも、義仲は公卿の姫の元へ。

 

この公卿の姫の秘所こそ、木曾谷にいたころからの都へのあこがれの象徴であったように義仲にはおもわれた。

義仲はそれに触れつつ、これが都であったと、みじかかった自分の栄華をおもった。

 

義経は、歴史に登場した。

 

待っていたぞみなもとの義経。待っていたぞ司馬遼太郎。ここからだ。司馬遼太郎義経』が始まった。義経はとっくに始まっていたけれど、司馬遼太郎義経』が今始まったと思った。バッドエンドへ加速していくこの感じ。たぶん。もっかい始まったりするから、嘘かもしれないけれど。

 

オードリーのオールナイトニッポンを聴いた。ラジコ。聴きだしたら聴きだしちゃうので、『義経』が止まった。若林の話が義経を止めた。というよりも若干の頭痛がする。肩こりからの頭痛。本の内容が頭に入ってこない。若林の話も頭に入ってこない。ピースの綾部がアメリカで元気でやってるということだけは頭に入った。よかった。

 

ランチはバイキング。ブッフェって言えない。ブッフェ?ビュッフェ?食い放題。嫁がデザートを取りに行った際に、3歳の娘がふっと顔を上げ、唐揚げを頬張りながら私の方を見た。「パパはとりにいかないの?」と言う。「(下の子を)見ていないといけないでしょ?」と返事すると、唐揚げをもぐもぐ「(あたしが)見ててあげるよ。」なんて言ってくる。もぐもぐ。一丁前。

食後のコーヒーを飲みながら、「でも、知らない人に連れていかれちゃったら、どうすんの?」と聞いてみた。3歳はもう会話ができる。楽しいお話し相手。即答で「寂しい。」と返ってきた。そうだよね。どうする、とか、ないよね。ただ、寂しいよね。あなたに為すすべはないよね。お父さんが悪かったよ。弟に優しいね。野暮なことをきく父が寂しいね。頼朝とは大違いだね。

 

あぁ頭痛で本が読めない。バファリンも効かない。バファリンの半分が優しくなくなったのはいつからだ。風呂入って寝よう。兜の目庇の下になんか刺さってる。

 

【指定第2類医薬品】バファリンプレミアム 40錠 ※セルフメディケーション税制対象商品
 

 

 

何のためにブログを書いている?

ブログを8日連続で書いた。これで9日目である。快挙である。一日のアクセス数が20くらいしかなかったこのブログも、昨日は78という最高記録を表示した。世の中的には何でもない数字なのかもしれないが、学年の児童数越えたじゃないか、もはや学年集会で喋っているようなもんじゃないかと思った。次は全校朝会か。300か。

 

司馬遼太郎の『義経〈下〉』を読み進めている。何だか最近読書意欲が衰退している。木曾義仲が兵士を追い出し、京を制圧し、法皇を押さえ、乱暴の限りを尽くしている。しかし、きっともうすぐこの人は殺される。それか自害する。鎌倉の頼朝が京都についに攻めてくる、となって、源氏である木曾義仲平氏と組むことになった。組むというか軍門に下るというか。内心もう死ぬんだろうな、俺、と少しは思っているんだろうな。その心境というのは、いったいどんな感じなんだろう。体験したくはない。

 

長女に夜、絵本を読むことが多い。昨日は二人で仰向けになって読んであげた。わかやまけん『さよならさんかく』。さよならさんかくまたきてしかく。いつもは座って読んでいる。たまたま仰向けになっている私に、読んでと甘えてくるものだから、そのまま本を天井を背にして掲げたら、娘も私の横に仰向けになってピタッとくっついてきた。そしてニコっと微笑む長女。悪くない。ちなみにお腹には長男生後2ヶ月が乗っている。みんな仰向け。なんか幸せ。悪くない。

 

ブログを頑張って書くことを止めようと思った。「アクセス数を稼ぐには、人のためになる記事を」「雑記ブログは、どんな人が書いているかが重要であって…」みたいな記事をいつの日にかに読んじゃった。どっかで読んだことのあるような教育的課題をあたかも自分が初めて主張したみたいな記事を最近いくつか書いたけれど、きっと続かない。そもそも何のためにブログを始めたかって、読書の記録と育児日記を書こうと思って始めたんだった。いつの間にかまたとんだ勘違い野郎になっていた。

 

松岡享子の『子どもと本』に

小さいときに、いっしょに本を読んで楽しませてくれた以上の親孝行はいらない。

とあった。この一文を読んで、その通りだ、と思った。

そして子どもと本を読もう。一緒に読んだ記録を残していこう、と思ったんだ。

 

読書の意欲が衰退している。でもそんなときに、その意欲を再び湧かせてくれたのはまた本であった。阿久津隆の『読書の日記』を本屋で見つけ、衝動買いした。この本、今のところ、ただの日記。人様の一年間の読書の日記。1000ページ以上ある。「タウンページみたい」って表現は今どき恥をかいてしまうかもしれないが、そんな感じ。何この分厚い本、と思った。司馬遼太郎国盗り物語』全巻約2000ページを一気読みした経験が、そのハードルを下げてくれた。まだ50ページ程度しか読んでいないけれど、こんな自然な感じに日記を残していければいいと思った。どうしてブログを始めたのか思い出させてくれた。頑張って書くことは、おしまいにする。続かない。

 

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木曾義仲が京都を制圧し、公卿の娘と枕を交わしまくっていたというエピソードを、私が目にしていろいろ想像することができるのは、かつての誰かが日記にしていたからだよな、と思う。まぁ、それか、司馬遼太郎の想像か。その辺りは調べていないから分からない。とにかく、ブログでやりたかったのは、日記だ。記録だ。主張をして、アクセス数を稼いで、インフルエンサーになりたかったわけじゃない。多くの人に読んでもらえるに越したことはないけれど、あくまで自分の記録。その辺間違えると、恥ずかしい記事を書いていることに、あとで気付く。